音楽的断章 ー いくつかの私見

大野眞嗣

5.歴史の中で

私の生徒が、ある国際コンクールで、審査員であったエリソ・ヴィルサラーゼから丁寧な批評をいただいたそうです。その批評は、彼女の演奏に対する姿勢と同じように、音楽に対して真摯に向かい合っているからこそ発することができる言葉であり、改めて、彼女に対して深い尊敬の念を覚えました。それは、彼女の温かい人柄に包まれた、各作品に対する考えから、演奏行為の根本に至るまでの幅広い見解で、その生徒にとっても、私にとっても、大変納得のゆくものでした。

ここで、改めて思ったことがあります。それは、ヴィルサラーゼはもちろん、その他の多くの現代の素晴らしいピアニストや教師たちにより、19世紀に始まった、当時の新しいピアニズムというものが、世界中に大切に受け継がれていることです。世界のどこの国でも通じる、普遍的な演奏は、19世紀以前の古典的奏法ではなく、新しいピアニズムになっています。その継承者のひとりであるヴィルサラーゼならではの高い理想が、彼女の発言から感じ取られました。

私たち音楽家は、音楽という伝統の継承者のひとりであるわけです。音楽の世界だけに限らず、どの分野においても、正統の中の異端が、つまり、正統を受け継ぎながらも、正統を改革してきた異端が、実は未来を開いてきたという歴史的事実があります。19世紀以前の古典的奏法の正統にしがみついたままでは、ピアノという楽器が持つ可能性を十全に発揮しきれないまま、真の音楽的な響きを奏することができないということになっていないでしょうか。現状の日本のピアニズムを考えたときに、そうした面があるということは否めないという気がします。

ショパンやリストに始まった、当時の新しいピアニズムが、ヴィルサラーゼほどではないにせよ、自分自身にも受け継がれていると、自分でも信じられ、それが単なるひとりよがりでなければ、幸せなことなのだと思います。こうした思いが、歴史の重みを背負う喜びなのではないでしょうか。ですから、次世代を担う人たちには、国籍を超えた、インターナショナルで、世界に通用するピアニズムを身につけてほしいと思うとともに、伝統の継承者である喜びを感じてほしいと思っています。

また、そこには、ある種の責任や、使命感もどこかに伴うと思うのです。ですから、自分の人生だけで音楽が終わってしまうのでなく、演奏や教育という形で、未来に受け継がねばならないという、広い心と高い志を持ってほしいと思います。

  


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