響きを豊かにするために ー ピアノ演奏における芸術的表現

大野眞嗣

2.私の「音色」発見体験

1988年、オーストリアのザルツブルクにて留学生活が始まりました。毎年夏には世界的に有名なザルツブルク音楽祭が1ヵ月半にわたり催されますが、その一環として若い学生のために世界中からソリストや著名な教師が集まり、モーツァルテウムを会場に講習会が開かれます。

 1989年、ロシア人のピアニストでモスクワ音楽院教授でもあったドミトリー・バシキーロフ(※1)の教室を訪れたときのこと。先生の演奏でまず驚いたのは、滑らかで心地よい響き、そして指はほとんど伸ばしたままのフォーム。どんなに速いパッセージを弾いても明瞭で、しかも指の上下の動きが少ないので、指が止まっているようにさえ見えました。からだ中の力が抜け、鍵盤に対して楽に重みが乗っており、なんとも合理的で無駄のない奏法に思えました。一体どうやって弾いているのだろう?と不思議に思いました。リストのソナタのレッスンにおいては、先生に悪魔が乗り移ってしまったのではないかと思うほどの迫力で、地の底から鳴ってくるような響きと絶妙な呼吸の音楽に圧倒されました。そこには、私自身がそれまで思いもしなかったレガートの基本が存在していました。

 その後、私がレッスンを受けたときのことですが、例えば、ショパンのバラード第4番において要求されたことは、やはり徹底したレガートでした。腕の重みをいかに指先まで乗せて、音を歌わせるかということ。そして、そのための脱力の重要性でした。何度でも手のひらをつかまれました。手のひらの中を硬くして構えないようにという意味です。そして、音をもっと聴くということ。自分ではレガートで弾いていたつもりでしたが、音と音との間に、ほんの少しでも段差が出来てしまうと、「ちがう!」と厳しく叫ばれ、何度もやり直しをさせられました。それは、技術的に単純そうな静かなコラールの部分においても、妥協を許されるものではありませんでした。音の響き、もしくは音のゆくえを聴きながら奏することの難しさを思い知りました。今だからわかるのですが、それを実現するために必要な、指の内側の支えとなる筋肉が弱かったためにコントロールができなかったと言えます。

 1990年、小柄なロシア人ピアニスト、タチアナ・ニコライエワ(※2)の教室を訪れたときのこと。その時の受講生は、彼女とは対照的な大柄なドイツ人であろう男子学生でした。曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。もちろん手前のピアノでその生徒がソロ・パートを弾き、その向こうのピアノで先生である彼女がオーケストラ・パートの伴奏を受け持ち、まず全楽章を通して演奏されました。そこには先生の弾く何気ないように見えるタッチから生み出された、まるでオーケストラを思い浮かべさせられるほどの多彩な音色の表現があり、私はまたもや圧倒されたのでした。手前で生徒が激しくフォルテの和音を鳴らしても、彼女の1音はそれを飛び越えて、部屋の空間に広がって行くものでした。永遠に消えそうもないほど、長く宙に浮いていました。何かの魔法を見ているような思いがしたものでした。彼女の指先から紡ぎ出される響きの色は無限と言えるほど多彩なグラデーションを描いており、聴く者の心が解き放たれていくような心地よさがありました。また、シューマンのレッスンにおいて、彼女が好んで「ウィーンの謝肉祭の道化」より間奏曲を演奏したのですが、深いバスの響きに支えられ、和声の変化に彩られた内声と切なく歌うメロディーの織りなす絶妙な響きの空間と呼吸に深い感動を覚えました。そこには、バシキーロフとはまた違った味わいでしたが、同じくレガートの基本が確実に存在していることが私には感じ取ることができました。

ニコライエワの講習会の後、私が縁あってイギリス人ピアニスト、マイケル・ロール(※3)のレッスンを受けた時のことでした。まずはベートーヴェンのピアノソナタを弾き終えた私の演奏に対して彼は率直な感想を述べました。それは思いもよらない次の言葉から始まりました。

 「まずはじめに、あなたの持っているテクニックは古いテクニックです。私の元で勉強をしたいのなら、これを直す必要があります。」

それは、当時の私にとって非常にショッキングなことでした。確かに彼がピアノから引き出す音は、私の音とは全く異なる明るく艶やかで伸びのある美しいレガートでした。ショパンのピアノ協奏曲第2番のレッスンの時など、先生がソロパートを弾きだすと、ピアノが豹変しました。突然楽器が歌いだしたのです。比較的まっすぐに伸ばした指、無駄のない合理的な奏法で、メロディーから走句まで変幻自在に滑らかに表現されていました。

ピアニストの中村紘子氏がニューヨークのジュリアード音楽院に留学した当時のことが、彼女自身の著書(※4)に書かれていますが

 「レヴィン女史の奏法の本質はレガートであったのである。そして改めていうまでもなく、レヴィン女史以外のどのピアニストにとっても、ピアノ演奏法の本質は何よりもなめらかな美しいヴェルヴェットのようなレガートのタッチにあった。」

 このようなことから、日本において一般的にレガートとされているタッチが、実はレガートではないということに気づいたのです。私の個人的な意見ですが、多くの日本人の演奏は、ある一定の範囲においてはレガートになっていて音楽的表現が実現できていると思います。それは、比較的ゆっくりの速度で、音量も小さいときです。これが、速いパッセージや強い和音になると、音の響きは破綻し、小ホールならまだしも、中規模のホールとなると、既にその表現は失われ、聴いている者の耳には届いてこないように感じます。

 

※1 ドミトリー・バシキーロフ Dmitry BASHKIROV(1931-)ロシア、
   第6回ロン=ティボー国際コンクール 入賞 

※2 タチアナ・ニコライエワ Tatyana NIKOLAYEVA(1924-1993)ロシア、
   第1回バッハ国際コンクール 第1位

※3 マイケル・ロール Michael ROLL(1946-)イギリス、
   第1回リーズ国際ピアノコンクール 第1位

※4 中村紘子著 『チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代』 中央公論社刊



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